ケレブリンボールに関しては普段は落ち着いているけれど好きな気持ちはいつも頭の何処かにあって、それが時折抑えきれなくなって堪らなくなるのです。
なので、同じ事を何度も書いているような気がしますが自分の気持ちを落ち着かせるためにやはりまた書いてしまいます。
返す返すも第一紀終盤のケレブリンボールは針の莚ですよねー……。本当に、考えるだに心が痛いです。
第一紀末のケレブリンボールはおそらく、最終的には他のエルフの生存者達と同様難民としてシリオンの河口にいたと思われます。そこでもきっと他のエルフ達からは冷たい目で見られていたんだろうなと。特にドリアスの生存者の中には襲撃者としてのクルフィンを直接見た者もいたでしょうし。ますます立場は厳しい。ケレブリンボールの見た目はクルフィン・フェアノールに瓜二つで想像していますので、そうするとそれこそ見ただけで避けられる憂き目に遭っていたんじゃないかなと言う。
せっかく父と袂を分かって正しき道を進んだ筈なのに、なんでフェアノールの孫がこんな所にいるんだあっち行けとか言われちゃうんですよきっと。
特に生き地獄だったろうと思われるのはシリオンでの、第三の同族殺しの際です。この時にはもうケレブリンボールの父クルフィンは死んでいてこの世にいないのですが、それでもフェアノール家による最後の、そして最も悲惨だと語られる同族殺害のその衝撃は、ケレブリンボールにとってはきっととても大きなものだったのだろうと思っています。いっそ、その時に死んでしまいたいくらいだったに違いないと。
考えれば考える程本当に可哀相で、でもそこが好き。どう考えても針の莚だよー、辛いよ、悲しいよー。同族から虐げられるケレブリンボールって、可哀相だけど実に好きです。普通に受け入れられるのはどうにも違和感が。こんなにこんなに大好きなのに、幸せな様子が思い描けないのは何故なのか……同族から虐げられていないケレブリンボールなんてケレブリンボールじゃないと思ってしまうのは。
ナルゴスロンドで父と袂を分かってからのケレブリンボールは本当に不幸のどん底続きだったと思います。第二紀のリンドンでは少しは落ち着いたかもしれませんがそこにも真の平安はなかったと。
ケレブリンボールにはクルフィンの息子設定の他にゴンドリンの職人設定やダイロンの子孫設定もありますが、いっそのことそれらを全部まとめてみても面白いかもと思いました。ダイロンの子孫だった場合ドリアスにいた可能性が高く、クルフィンの息子設定の場合ナルゴスロンドにいたのは確定なので。そうするとナルゴスロンド、ドリアス、ゴンドリンというベレリアンドのエルフ三大都市に全て滞在していた可能性も生まれますね。面白いかもしれない(ナルゴスロンドとゴンドリンだけならともかくドリアスはさすがに無茶だとは思いますが)。
ナルゴスロンド→ドリアス→ゴンドリンと移動していたら面白いなと思います。ドリアスを去ったのはフェアノール家による襲撃よりは前かなー。有り得るとしたらシンゴルの死の前後でしょうか、ドワーフとの争うことに耐えられずその地を去ったとか。
第一紀終盤の年表を辿ってみると、ケレゴルムとクルフィンがナルゴスロンドを追放されたのが468年(この時にケレブリンボールはナルゴスロンドに残る)。ベレリアンド第五の合戦であるニアナイス・アルノイディアドが473年(ナルゴスロンドからはグウィンドールら僅かな者のみが参戦)。トゥムハラドの戦いとナルゴスロンドの滅亡が495年。フーリンがドリアスにナウグラミーアを持って行ったのが500年。シンゴルがノグロドのドワーフに殺されたのが502年。フェアノール家による襲撃でドリアスが完全に滅亡したのが505年。ゴンドリンの陥落が510年。ナルゴスロンドの滅亡からシンゴルの死の間に何年かありますね。効率よく移動すれば父や伯父達と鉢合わせすることなくナルゴスロンド→ドリアス→ゴンドリンの移動は可能……かも?
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